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「見えない壁」を越えようとしたとき。後編

Last updated on 2021-12-16

【訪れたい空間】
レポートの延長②「見えない壁」後編

18時から、建築家2名、郡裕美さん(スタジオ宙一級建築士事務所 )と島田陽さん(タトアーキテクツ)の対談トーク・公開インスタライブイベントが行われた。『郡裕美展 壁の向こうへ』の展示企画だ。

お二人の対談はとても興味深い内容だった。印象に残っている言葉は、「周囲や世界が違って見える時、ついついその対象や周りが変わっているような気がしてしまう。自分は変わらない気がしているけど、しっかりゆるやかに変わっているんです」という郡さんの言葉。

郡裕美さん(スタジオ宙一級建築士事務所 )と島田陽さん(タトアーキテクツ)の対談トーク・公開インスタライブ

なるほど。判断を全て周りの力や影響によるものだと決めつけるのは、視点が固まりすぎているのかもしれない。そう捉えてしまうのは、自分のなかのノイズではないか?フィルターや眼鏡の度数が変わったのではないか?と一度立ち止まって問うことも必要かもしれない。ジェームス・タレルの『タレルの窓』や、ジョン・ケージの『4分33秒』なども、参考事例として話題にあがった。

盛り上がったのは、建築と芸術の違いとはなんぞやという話題。「建築は問題解決、芸術は問題提起だと捉えています」と島田さん。しらずしらずのうちに身を乗り出して聞いていた。私も、「ライターは問題解決、作家は自己表現の追求をする役割だ」と一応答えを出している人間。有名建築家と似た答えをだしていることに、片思いに近い親近感を抱いた。

一方、郡さんは、これに関してあまり問題視していない様子。建築家・芸術家と2つの顔を持つ中で、あまり肩書の境界線に迷うことがないようだった。作品を作る際に唯一心がけていることは、内部空間・外部空間の関係性など、空間・建築というアウトプットで芸術を表現することなのだそうだ。「建築の仕事では、住まい手が暮らす中で感じる、風・自然・光・肌触りなどを通して、人間として幸せだと感じられるような設計を心がけています。各所に隠し混ぜておいた、実はね、の楽しみを生身を使って見つけてほしい」。

この話を聞いて、今回の展示『見えない壁』でも、テーマを気づかせるために、自分の目・体を使って気づかせる仕組みを用意しておくことや、自分で見えない壁を破る体験をしてもらえるような仕組みがあった。作品作りと建築の両軸においてマインドが一貫しているなあと感じた。

展示を通して、考えて見たこと。私にとっての「見えない壁」とはどこにあるのだろうか?少し考えてみた。「見えない壁」は、「評価されることへの不安」かもしれない。自分という体はいつもお腹が空いているようで、吸収ばっかり、食べてばっかりいる。大食いだ(それはそれでいいか)。食べる量とアウトプットの量のバランスが悪い。やり方研究が得意で、貪り学ぶ。学ぶことがゴールになっているのだと思っていたが、そうじゃない、評価されることを怖がっているのだと気づいた。自意識過剰?

評価されることを意識するのは、人の目や意見を気にするということ。人の目を気にして何かをアウトプットするということは、自分の中からシンプルに出るものとは違う形であろう。知らず知らずに、もう自分の中の一部を通過せずにアウトプットしていることがあるかも知れない。それはもしかすると「見えない壁」になり得るもの?

意識しなければ、その「見えない壁」は、判別されぬまま見過ごされているかも知れない。町中を歩いている時も、注意書きや案内板ばかり見ていて、道ばたに咲いている美しい花や風景が見えていないこともあるかもしれない。ルールや注意書きに目を取られて、無関心のまま、心を動かし得る“その風景”を見過ごしてはもったいない。

私の中にも、「見えない壁」や固定概念がたくさんあるようだ。レンズの強度を緩めて世の中を見てみよう、少しずつでいいから、私なりの飛び越え方を試してみよう。そう思えた機会だった。

わたし